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「もう生まれたくない」☆長嶋有を読んで…。

 

もう生まれたくない

もう生まれたくない

 

 

FACEBOOKTwitter、インスタなどから流れる情報、「知る必要もない死まで知るようになった社会だからこの小説ができた」と作者談。

 

お気に入り度★★★★

 

訃報が出れば、TwitterFACEBOOKで追悼メッセージが溢れる今の社会。その死について心から悲しみ、メッセージを投稿している人はいるのか?そもそも本当に悲しい時にSNSでつぶやくことはできるのか?作者はそういう気持ちがあったのかもしれない。この作品のインタビュー記事で「実際の現場の人間にとって、死というものはただただ悲しいもの。でもそれが巷間の訃報というものになると、ヘンな思弁になるということが分かるようにしました」と述べているからだ。

 

主人公格は中年女性3人。大学で働く首藤春菜、シングルマザーの小波美里、掃除婦に見えない根津神子。あるミュージシャンの訃報から話が連なっていく。群像劇型である。この3人の他に大学生のカップルや大学講師などが出てくる。この作品の面白さは実名人物の事件や事故が出てくるところだ。亡くなった人物ばかりだから著作権は不要だからか

(笑)劇中にセガサターンゲームボーイジェンガなど懐かしいゲームが出てくる。

 

中でも声優の内海賢二さんの訃報パートはかなりページ数が長い。内海さんといえば、魔法使いサリーのパパ、ドクタースランプ則巻千兵衛北斗の拳 ラオウに加え、映画の吹き替えなど40代以上の方なら知らない人はいないでしょう。この作品を作る時、最初に書き始めたところが内海さんの訃報からだったと作者が述べているところからも相当思い入れが強かったのだと推測できる。

 

知る必要のない死まで知るようになった社会だから、 この小説ができたと語る作者。SNSが流行る前訃報はテレビのニュースや新聞で知ることが多かった。

琴誠龍の最近の身近な死としては、実父が去年交通事故で亡くなったことだ。亡くなったときも悲しみは深かったが、父が亡くなって一年半たつ今でもボディブローのように悲しみが消えることはない。

 

この作品の中でもたくさんの死と向き合うシーンがある。夫をなくした妻でさえ慟哭するシーンがない。喪主のあいさつで述べた言葉「彼が一番驚いていると思う」だった。悲しみを表す言葉はなくても、言語にされないものに悲しみが詰まっていると作者は言いたいのかもしれない。

 

長い人生を生きていく以上、今後もたくさんの訃報を知ることになるだろう。そしていつかは自分もまた訃報の主人公になる日も来るだろう。これだけはどんなに偉い人でもお金持ちの人でも避けられない運命だ。人は生まれてくる以上、死は避けられないものだ。

 

知らなくてもいい訃報に踊らされず、きちんと死と向き合うことでしっかり生きていく礎になるのではないか?この作品で作者が伝えたかったことはそういうことではなかったかと私は思う。「もう生まれたくない」というタイトルは、死ぬくらいならもう生まれたくないというメッセージにもとれるが、神様より命を預かって生まれてくるので、結果的にはそうすることもできない何とも不条理なことである。

 

余談ですが、長嶋有さんは芥川賞を受賞した作家さんだが、同時に漫画家さんでもある。「フキンシンちゃん」という漫画で主人公の蕗山フキ子(名前もなんだかなぁ)という美少女高校生をこの作品に登場させている。死にまつわることがとてつもなく好きな不謹慎な美少女である。このフキンシンちゃんが作中で重要な役どころをしているところが面白い。

 

一度手に取ってご自身の目で確認してほしい。