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50代主婦が独学でインドネシア語を勉強(キックジャパネシア編)

「友情」☆武者小路実篤を読んで…。

 

友情 (岩波文庫)

友情 (岩波文庫)

 

 

読了後に感じたこと。怒り、裏切り、リア充爆発しろ、失望だった。

 

お気に入り度 ★★★★

 

あらすじはぶっちゃけて言うと、文士の卵である野島が友人の妹、杉子に片思いするが

フラれ、杉子は野島の親友大宮と結ばれてしまう。大宮は友情より女を取ったのだ。

こんな風に書いてしまうと、武者小路実篤はずっこけてしまうかもしれない。

 

この作品の魅力は大宮が野島に公開した告白小説(ノンフィクション)の内容である。

杉子から大宮に当てた手紙から始まる。野島を尊敬するがゆえに、野島の恋を成就させようと努力、協力する大宮。それに対し杉子は野島を二番目に尊敬するというも1時間も野島の横にいたくないという非情な答えを返す。それは罪なのか?と聞かれればそうではない。

 

人柄がよいからとか他人に勧められるから愛するものではない。好きか嫌いかである。人を愛するのに理由はいらない。そういう意味では杉子は正しいのかもしれない。

杉子と大宮の手紙のやりとりの中に、大宮の苦悩の考察がある。友情を取るのか、愛情を取るのか。

 

そもそも野島の杉子に対する愛情は本物だったのか?これも小説内に書かれているが、野島は女の人を見ると結婚のことをすぐ思わないでいられない人間であり、結婚がすべての男だった。野島自身も「自分は矢張り杉子の心を愛しているのではなく、美貌と、身体と、声とか、形とかを愛しているのだなと思った」とはっきり述べている。

 

野島の未熟さや依存症ともいえる性格を熟知している大宮は、野島の杉子に対する愛情が本物ではないことに気づいていた。だからこそ小説で告白する形を取ったのではないか?文士の卵である野島なら、一時的に傷ついたとしても大宮の変わらぬ友情をくみ取ってくれるのではないかと。

 

それでは愛する杉子を手に入れた大宮は幸せで、失恋した野島は不幸せなのか?

その答えは、武者小路実篤が序文で述べている。失恋するものも万歳、結婚する者も万歳と。幸せは自分が決めるものなのだと。

 

この小説はやはり10代から20代に読んでほしい。自分が野島になったり、杉子になったり、大宮になったりして立場を置き換えて、疑似恋愛を経験してほしいからだ。

 

余談になりますが、実はこの小説を読むのは初めてだった琴誠龍。娘が最初に読んだのですが、読了後、娘は涙を流しておりました。あまりにも野島が不憫だと。娘にぜひお母さんも読んでほしいといわれ、夜11時から2時間ほどで読了しました。私は涙を流しませんでした。娘と違うのは、杉子に腹立たしい気持ちが起きたこと。あとはキャッチコピーの通りです(笑)

 

ただ、そのあと冷静になり、こういう恋愛はよくあることだと思いましたし、愛情は見返りを求めてしまうものだが、友情はそれほどではない。愛情は感情で別離を生むが、友情は壊れても修正できるものではないかと思いました。武者小路実篤が「愛情」というタイトルではなく「友情」にしたのはそういう意味があったのかなと琴誠龍は思いました。